« ひびのウキウキ通学路シーズン...到来? | トップページ | LaQ(ラキュー)_作:むぎ »

「アナログ世界」と「インターネット」の考え方

NHKを見ていたら...視点・論点 「シリーズ 私の子ども時代(1)」をやってるのをたまたま見ました。

養老孟司先生がお話していらして...なんとなく見ていました。。。
短めの番組なので...なにをしていたんだったかしら、お茶を片手にちょっと休憩...ふとなんとなくテレビのリモコンを持ち、ポチッ...とやった時だったように思います。

養老孟司先生がお話ししていらした中で、ふと心に残った印象的な部分がありました。。。

昔と今の違う事...とても変わった事...の中で...

人間も自分でエネルギーを作ります。医学ではその最低基準を基礎代謝といって、いわゆる絶対安静で、なにもしないでベッドに寝ていても使うエネルギーと定義しています。生きていれば呼吸もするし、心臓も動かしますから、エネルギーを作って、それを使うのは当然ですね。現代の日本人はどのくらいの外部エネルギーを使っているか。それを生物学者の本川達雄さんが計算しています。四十倍だそうです。四十倍の外部エネルギーを使うようになった。それが私の子ども時代の生活と、現代とを分ける最大のポイントではないかと思います。
外部エネルギーがそれだけあるので、社会的にいえば、体を使う仕事だった第一次産業はどんどん比重が小さくなりました。人一人が出す力が、外部エネルギーに比較して四十分の一に下がったんですから、肉体労働の価値が徹底的に下がったわけです。人が体を使うより、機械に任せたほうが便利だ。そういうことになりました。便利ではなくて、エネルギー的に太刀打ちができなくなったというべきだと思います。

もう一つ、違ったことがあります。いわずと知れた情報機器の発達です。私が子どもの頃のNHKは、まさに日本放送協会で、ラジオのことでした。いまではそれがテレビになり、ケータイとパソコンになりました。この変化はただいま進行中です。

それをまとめて、なにがどう変わったのか。人間は体ではなく、頭になりました。もっと限定して言えば、意識です。人はいまでは体ではなく、意識の世界に住みます。それを私は「唯脳論」という著書に書きました。脳のなかの世界に生きるようになったのです。そう表現するしかないでしょうね。一日平均六時間、インターネットを見ている若い人たちは、他人の意識が生み出したものだけを見ているわけです。考えようによっては、インターネットは脳のなか、意識のなかです。私が子どもだった頃は、そういうものは、当り前ですが、ありませんでした。世界はすべて、直接に感覚から入るものだったのです。いまではずいぶん違う世界になったんじゃないでしょうか。

人間の適応力とは、凄いものだと思います。どちらの世界 にも、私は生きてきているからです。でもこれからはこういう極端な変化は無いんじゃないでしょうか。年をとって、疲れてきたから、そう希望しているんですが。




上記の部分。
(⇒全文はこちら_視点・論点 「シリーズ 私の子ども時代(1)」で読めます。)


昔といまでかなり変わったこと。

社会的にいえば、体を使う仕事だった第一次産業はどんどん比重が小さくなり...
⇒肉体労働の価値が徹底的に下がったわけです。人が体を使うより、機械に任せたほうが便利。そういうことになり
⇒⇒「便利ではなくて、エネルギー 的に太刀打ちができなくなった」というべきだと...

もう一つ、違ったこと。=「情報機器の発達」

「人間は体ではなく、頭になりました。」もっと限定して言えば⇒「意識」。

人はいまでは“体ではなく、意識の世界に住み”ます。
(それは「唯脳論」という本に書かれているそうです。)

 唯脳論 (ちくま学芸文庫)


ヒトは“脳のなかの世界に生きるようになった”。
インターネットを見ているいまどきの若い人たちは、一日平均六時間をインターネットを見ることに費やし「他人の意識が生み出したものだけを見ている」、その中で生活している?ようになっているわけで、考えようによっては「インターネットは脳のなか⇒意識の世界の中に住んでいる」ような状態になり...養老先生が子どもだった頃は、そういうものは、当り前ですがなかったわけです。(←養老先生くらいのお歳でなくとも、私が子どもの頃だって...今と比べれば、ほぼ“ないに等しいレベル”だった。)

世界はすべて、直接に感覚から入るものだった...いまではずいぶん違う世界になったと思いますよね...



...なにか、「あっ...そうだよねぇ〜!」と、テレビの中でお話しになっていた養老先生の言葉に、私はナニカ心に響く...根本的なことに気付かされたような気がしました。。。

インターネットとは、大変便利なものであり、それに頼る生活にすごく寄っているようには感じる最近...でも、本当に...どこにもない発想だったり、アイディアの源だったり...学びの多いものは、“自然の中”にあり、ネットにある情報は“誰かが気付いたもののまとめ”だったり“発見の披露”だったり...という『誰かの成果物』の塊なんだ...と...そんなことに改めて気付きハッ!!!としました。

確かに『情報源』ということや「他者とのコミュニケーションを大変便利にとる方法」「情報伝達を大変便利にしてくれる道具」、「他者の意見を知る」「情報を共有できる」...などなどという点においては、大変優れていると思われる「インターネット」ですが...

そうだ...

ココの中(=インターネット)は、『誰かの成果物』の塊の世界であり、ここに根本的なアイディアの源や、自分が実際に手を触れたり、経験できる...実体験できるもの(世界)はなく...そういうモノが大変に不足している世界であり...

でも、人間(子どもを育てていく環境だったり...)には、「意識の世界」ではなく「直接に感覚から入るものに囲まれる世界」が大変重要で、特に発育途中にある子どもには、そういう世界にいかに子ども時代に多く触れておくか...が、大人になってからとても重要なんじゃないかな...?ということを、自分の中でしっかり論理的に理解でき⇒そぅそぅ!もっと子ども時代はアナログに育てておかないと...いつかいろいろなカタチでの『成果物』をアウトプットする歳になった時に、「自分で考えて発想することの種」みたいなものが不足するんじゃないかな??と思うに至りました。。。

もちろん、これは、子どもだけでなく、クリエイティブなことを仕事にする私の今にも大変あてはまると思われることであり、なにか大変...ハッ!!!(゚o゚;) ! とさせられました。

しかし、「インターネット」にも大変な長所があり、気軽に無料でいろいろな情報に触れられる、他人の成果物の塊としての『知の宝庫』とも言えます。自分で練っていたアイディアが、ふとお茶休憩をしながらネットサーフィンをしていて、「あっ...!そういうことだったのか!」とか「あっ...!そういう風な考えの方向性から見てみると、また違うアイディアも生まれる!」とかの気付きをもらえたり、考える知識の破片がたくさん散らばっていることも多く、これはこれで大変貴重であり有意義なものです。おかげさまで、テレビを見ながら、自分の知らないことを「全く知らない状態のまま放置...」することもずいぶん減りました。(←新聞やテレビでわからないことは、すぐ近くにある、ナニカ情報端末でネットで調べながら見ていたりする私...でも、きっと同じようなことをしながら、夜のビジネスニュースなどをこのような見方で見ているのは私だけではないと思います。)

これからの周りと向き合うことの方法、インターネットでの情報の探し方...などの、「直接に感覚から入るものに囲まれるアナログな世界」と「他人の智の知」のそれぞれ両方のよいところ(それぞれの長所と短所をよく理解し、その上で、そのそれぞれのパワーを最大限利用できる状況)で使えるよう、よく勉強し、最大限効率よく活用させて頂く方法...っていうのは...どのあたり??

...とかとか、なにか根本的な「大切なこと」に気付けた気がしました。。。

さて...ゴールデンウィーク、特にどこに行く...とかの予定もありませんが、なにか近場でも、子ども達と「本当の自然」、どこにでもある普通の世界に、意識して「触れ」に...パソコンの前にいないで外に出て、アナログな体験ができる世界にせっかくの時間...触れてこなくっちゃね♪

...なーんて思いながら、まずは、超身近な世界の我が家の庭に出て、超アナログに雑草を愛でながら手で引っこ抜く...とかとか...ナントカせんとね〜。。。
   (^ー^;)

|

« ひびのウキウキ通学路シーズン...到来? | トップページ | LaQ(ラキュー)_作:むぎ »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/40203/54611294

この記事へのトラックバック一覧です: 「アナログ世界」と「インターネット」の考え方:

« ひびのウキウキ通学路シーズン...到来? | トップページ | LaQ(ラキュー)_作:むぎ »